誰かに触ってもらってると治らない。誰にも触られないようにすると治る。
坐骨神経痛とか足、腰の痛みを完治させようと思ったら
誰かに、触ってもらわない。ってのも、大事な要素ですね。
*四角でかこっているところは、いただいたLINEコメントです。
誰にも触られないようにすると治る。誰かに触ってもらってると治らない。
げ、誰かに触ってもらわないほうがいい?
またまた、
斬新な!
でも、それはちょっと感じていましたが、そうはっきり言われると、びっくり‼️です。
施術とか治療系のたぐいで、人に触られると、メンタルてきな、考え方の、転換でできないので、なおりづらくなりますよ。
専門家になおしてもらうのが、主で、わたしが自分でやるのが、補助的。みたいにおもってると、いつまでたってもなおらないです。
ぼくのメルマガ読者さんにも「接骨院とか治療院にかよいながら、すこしでも良くなればと思って、藤田先生の体操してます」みたいなことを言ってる人が結構います。
ぼくは、あんまり、小言とか、正論ぽいこというのもめんどくさいので、その人がそれでいいならいいやと思うので、スルーしてますけど。
本当に治したい!と思ったら、治療院とかに、おのずと行かなくなるはずです。
なんか、「骨盤とか○○関節がずれてるのが、原因なんですよ。調整しておきますね」とか、でたらめですよ。営業トークですね。
だまされた! 感。満載
か、じっさい、施術者自身がそういうことして、患者さんを治してると自分で信じているとしたら、そうとうナイーブで信じ込みやすいタイプですね。
「ぼくは、患者さんが治るのを手助けしてるだけで、治しているのは患者さん自身なんですよー」とかって、メルヘンチックなことを言ってる施術者とかもいますよね。
口ではかっこつけた事言ってるけど、結局は、患者も治らないし、”体に触って、治してあげる系”のスタイルの行為はどっちの立場から見てもいいことなしですね。
もし、あなたが
「私たち患者」x「治療者」
という、2元てきな考え方をしていたら、だめですよ。
「私たち患者」って言葉が思いつくような発想があったら、それはあらためなくてはいけません。
「私たち」にくっつく形容詞は=「人間は」ですよね。
『私たち人間は、意識しててても、緊張してしまう生き物だから・・』とか1元でかんがえてください。
そういう文章が自然にでるような感覚になったらいいですね。
体を治すのに2者はいないよ
「私たち患者」と「治療者」をちがう列にならべて
「こちら」と、「あちら」 という概念があってはいけません。
『治療者が一生懸命やってくれるから』『こちらも一生懸命にやってみよう』とか考えはダメですよ。
まだまだ頭の中が、患者、お客様感覚かもしれませんね。
アドバイスはなくて、自分の考えがあるよ
”治療者からのアドバイスやサポート”ってものがあったとして
自分の体が気になってて、問題をなおしたくて、ぼくのブログやメルマガをみていただいているわけだから、
『患者の立場でもらう』ってイメージでいていいものではないのです。
体を直したいとおもったら、自分の体に対して、もっと主体てきになったほうがいいですよ。
この世に治療者なんていません。ぼくも治療者じゃないです。
わるくてこまっている体は、藤田の体じゃなくて、じぶんの体なんだから、もっと、自分に対してセンシティブで、貪欲になったほうがいいですよ^^。
ぼくのメッセージは、自分自分自分です。
参考になるイメージ
参考になるイメージとしては、
猫が自分の体をなめているところとか
犬が、地面のにおいを嗅ぎまわっているところです。
犬が、地面の情報をクンクン嗅ぎ分けてるように、自分も情報にどんよくになりましょう。
猫が、自分の体をぺろぺろなめて、体を整えているように、自分の体を観察してください。
そういうイメージができたら、「治療者」とか「患者」っていう概念は、あたまからすっかりなくなり、言葉もでなくなるはずです。
そういう意味で『カリスマ整体師を探す旅を終わらせる』って記事を書いたんです。
あなたが完治できるように、頭の中をリフレッシュして、あたらしい情報を再インストールできるように、いのってます。
もう一回読んでみてくださいね。